OUR ART IN
OUR TIME
12
2024
EXHIBITION
INFO
イン・ビトウィーン
埼玉県立近代美術館
2023.10.14 - 2024.1.28
本展は近年当館の収蔵作家となった早瀬龍江(1905-1991)、ジョナス・メカス(1922-2019)、林芳史(1943-2001)に、ゲスト・アーティストとして潘逸舟(1987 年生まれ)を加えた 4 名の作家に焦点を当て、作品や関連資料、関連作家の作品を交えながら紹介する。
潘逸舟《家を見つめる窓》2023 年、作家蔵
【information】
展覧会名:イン・ビトウィーン
会場:埼玉県立近代美術館
住所:〒330-0061 埼玉県さいたま市浦和区常盤 9-30-1
会期:2023年10月14日(土)~2024年1月28日(日)
開館時間:10:00~17:30(展示室への入場は17:00まで)
休館日:月曜日(1月8日は開館)、年末年始(12月25日-1月3日)
料金:一般 1000円(800円) 大高生 800 円(640円)
・( )内は20名以上の団体料金
・中学生以下と障害者手帳をご提示の方(付き添い 1 名を含む)は無料。
・企画展観覧券(ぐるっとパスを除く)をお持ちの方は、あわせてMOMASコレクション(1 階展示室)も観覧可能。
URL:https://pref.spec.ed.jp/momas/
【イン・ビトウィーン展】をみて。
①林芳史の『work』
実態と自己の認識とのズレを表現する技法として、フロッタージュ(小さい頃、遊びで100縁玉を画用紙とかに写したことある)を使ってるのが興味深かった。
その姿がそのまま紙に映し出されているのに、紙に移された瞬間から、もう実態とは程遠く、かけ離れた存在になる。
なるほど、それがbetweenというコンセプトにも繋がってるのか。
②潘逸舟の『波を掃除する人』
今の日本を象徴するかのような作品だなぁと思う。
太刀打ちできない、不可避なものへ抗う無力さ。
生きることそのものが、この『波を掃除する』ことと同じで、その姿は美しい。
③久しぶりのジョナス・メカス。
彼の作品は、作家自身の生い立ちや、戦争中の経験が色濃く反映されている。
国と国の間、
日常と旅の間、
記憶と現実の間。
その曖昧な境界を行き来する作家の眼差しそのものが記録(焼きつく、刻まれるという表現の方が近しい)されていて、いつでもそれは不安定に揺れていて、寂しくて優しい。
【同時開催のアーティストプロジェクト】をみて。
永井 天陽 『遠回りの近景』(アーティストプロジェクト)
コンセプトから作品まで全て素晴らしかった。
鳥の剥製をつかったその作品は、扱っているテーマはわりと重いのに、それをつつみこむような軽やかさとポップさに救われる。
骨壷を目にした時の違和感から、これらの作品は生み出されたらしい。
それまで存在していた人間が、死んで燃やされ小さな白い壺に簡単に収まっていくことの不自然さと違和感は、誰もが感じるとおもうけど、永井さんはその経験をもとに、剥製(死の象徴)に別の物質(分解に400年〜1000年かかるといわれているプラスチックで素材)を被せることで、死とそれを受け取る側との距離を変質させていく。
命には質量があるとして、死んで質量が減ったかつての命は、ただの物体になるのか?
それを命から物体と認識する自己判断の境界線はどこにあるのか?などなど。
透明なアクリルを被せることで、そんなことを教えてくれるアートは、やっぱり凄いなぁとしみじみと思う。
今後の永井さんの活動がとても楽しみ。
【想像以上に良かったコレクション展】をみて。
①古川勝紀の『国道シリーズ』
作家本人の言葉と共に作品をみていたら、なんだか泣けてきた。
『遠景の事象も近景の事象も写真(情報)をとおして接しているようだ。
そして見たような見てないような世界があれこれ展開される。
何を見て何を感じて生きているのかさっぱりわからない。』
この作品が発表されたのが1999年。
それから約20年後、
作家の言葉は切実に深刻に私の胸に響く。
②上田薫 『ジェリーにスプーンC』
1928年生まれの作家、
62歳の時に描いたその瑞々しい作品に、
心から驚いたし思わず『かわいぃ!素敵!凄い!』と声が漏れた。
スーパーリアリズムの旗手として、長きに渡り活動してきた方だと知る。
今の若手作家のやっていることの原型をみたような気がして、脈々と受け継がれているのだなぁと感じ入る。
新しいと思っていたことも先人たちが追求してきた生き様そのものを引き継ぎ、今の私たちが存在している。
享受していることの有り難さを感じた。
③鴫剛 『絵ではないものを描く』という
コンセプトで作られた作品たち
写真を精密に写すことで、オリジナルとコピーの関係性が
どんどん曖昧になる。そしていつしか、コピーそのものが圧倒的な時間と質量の中で新たな命と存在を得てこちらに迫ってくる。
そのことが目に伝わるクレイジーな作品。