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10
2024
STORY - HANDS
Aug. 05, 2022
歴史の積層と
トライ&エラーの過程を描く
現代アーティスト 熊倉 涼子
writer naoko fukui
photographer yuba yahashi
editor naomi kakiuchi
日差しの照りつける、とろけるように暑い日。茨城県取手市にある、アーティスト・熊倉涼子さんのアトリエを訪れた。現地に少し早く到着したため、日陰になる場所ですっかり夏模様の空を見上げながら待機していると「こんにちは」と涼やかな声が聞こえる。振り向くと、熊倉さんの笑顔があった。
「暑いですね〜こっちです」とアトリエに招き入れる熊倉さん。
対面する前はクールで知的な女性というイメージを抱いていた熊倉さんは、よく笑う人だった。
案内されてアトリエの中に足を踏み入れると、コンクリートでできた建物の中は、外よりもいくらかひんやりしているように感じられた。キャンバスが立てかけられた壁、絵具の跡が模様を描く床、ラックの上にあるたくさんの絵筆。その中に熊倉さんが絵を描くスペースがあった。
この場所で、熊倉さんはどんなことを感じ、何を考えながら描いているのだろう。
Transient Images #6 | 53.0×45.5cm (F10)、キャンバスに油彩、2021
古代エジプトの星座図、ルネサンス建築の天井画、神話に出てくる女神を象ったモチーフ…いくつかの絵画やイメージで構成され、素材感の異なる絵やモチーフをすべて油彩で描ききる熊倉さんの作品には、限りない奥行きを感じる。ここに描かれているひとつひとつは何で、どんな意味があるのだろうーーその重なりを感じながら、長い時間かけてじっくりと眺めていたくなる絵だ。
「作品ごとに軸となるテーマがあるんです。そのテーマに対して、古今東西様々なイメージを集めてきて、写実的な描写やラフなハンドドローイングなど、いくつかの異なる描き方を組み合わせながら描いています」
軸となるテーマは、天体や地球、生物など。普遍的なものをテーマの中心に据えながら、テーマとなるものに対する認識や言説の変化を「積層」として一枚の絵に表現する。
「例えば、私たちは地球が丸くて太陽の周りを回っている、ということをもう小学生の時点で知ってますよね。でも、時代を遡ると、平坦だと思われていたり、地球が中心で太陽が周りを回っていると考えられていたことがある。現在私たちが“当たり前”だと思っていることにたどり着くまでにたくさんのトライ&エラーがあって、その過程で忘れられたものがたくさんある。忘れられた歴史の積層やトライ&エラーの過程を意識して描いています」
Transient Images #9 | 40.9×31.8cm (F6)、キャンバスに油彩、2022
「地球のかたちについて」をテーマにした作品では、古代インド人が考えたと言われる地球の姿と、地球の衛星写真を重ねる。現在“当たり前”と考えられている地球の姿も、熊倉さんは更新される層のひとつと捉えているのだ。
「地球の衛星写真は、科学的な技術で生み出された、現代の多くの人々で共有している地球のイメージです。私達は実際に見たことはないけれど、これが地球だと思っている。でもこのイメージもいつかは部分的にでも古くなったり、否定されたりする日がくるかもしれなくて、今知っているものや、目に見えているものがどれぐらい本当なんだろう、と常に懐疑心をもっています」
気鋭の作家として今アート界で注目を集める熊倉さんだが、その物腰は柔らか。
どうしてアーティストになったんですか、と問うと「なりゆきで」と屈託なく笑う。
「執着心があって描いているみたいなことが昔から全然なくて。今描いているシリーズも、『宇宙が好きなんですか』と聞かれることがあるんですが、別に好きだからというわけでもないんですよね」
それでも、いつから「絵を描いて生きる」という選択をし始めたのか知りたくて尋ねると、「絵を描くこと自体は昔から好きだったと思うんです」と、ぽつりぽつりと言葉が出てきた。
「『お絵かき掲示板』って知ってますか?イラストや絵を投稿して交流できるオンラインサイトなんですけど。小学生の頃は漫画が好きだったので、好きな漫画のキャラクターを描いて投稿していたんです」
好きな漫画の様々な箇所の絵を模写して組み合わせ、アナログでは4コマ漫画にしたりもしていた。現在の手法につながるような描き方をしていたのだという。
「掲示板で知り合った子がたまたま高校の美術科受験を目指している子で。彼女が投稿していたデッサンにすごく感動したんです。目の前のものをこういう風に紙に写せるんだ!って」
今でもそのティッシュ箱のデッサンを鮮明に覚えていると話す熊倉さん。それがアートを志す最初のきっかけだったかもしれない、と振り返る。
それから自身ももっと絵を描いてみたいと感じた熊倉さんは中学校で美術部に入る。当時は、アメリカの画家でイラストレーターのノーマン・ロックウェルの作品などを模写していたそうだ。やがて高校1年生から美術予備校に通うようになる。ではその時がアーティストになろうと思ったときだったのかといえばそうではなく、「デッサンができるから楽しい」そんな習い事感覚だったのだという。
「美大に行く、ということは全然考えてなかったんです。でも高校2年生ぐらいになると『専攻を決めなさい』と言われて、デザインも彫刻も違うし…油絵科は入ってからメディアを変えてもいいみたいなところがあって一番幅広いから、油絵科かなって。だから本当になりゆきなんですけど(笑) でも入ってみたら結局油絵が、私にとっては一番面白かったんです」
美大時代は先輩たちの姿に刺激を受けながら、制作に対する意欲も増していったという。ただ、大学3年生のときに、「アーティスト」に執着がない熊倉さんは一度就職活動をしてみようと試みたことも。
ところが企業について調べるうちに、自分がやりたいことがそこにない、と気がつく。「他にやりたいこともないからしょうがない」と当初は消去法のようなかたちで制作を続けることを選んだものの、やっていくうちに他では得られない面白さをアーティストという仕事の中に見出していった。
「自分が作ったものに対して、自分がこう見えるということと、違う意見を人からもらうことができて、見方が変わる。あるいは、たまに何も説明していないのに全部伝わるときもあって。そういう作品を媒介にしたコミュニケーションで感動することは、他では得られないこと。だからアーティストほど面白い仕事ってないと思うんです」
他者とのコミュニケーションの中に生まれる面白さがアートの魅力だと語る熊倉さんは、ここまで続けて来れたのも、作品を認めてくれるそんな他者の視点があったからだという。
「自分の作品に対してそんなに大したものじゃない、と思っていても、私が気づかない面白さを教えてくれる周りの人がいたり、評論家の友人が作品の見方をくれたりして。そうやって自分の作ったものが自分の手を離れて受け取られることが面白いし、作品の面白さをさらに発展させられるのは私しかいないから、ちゃんとやっていこうと思うようになりました」
流れるように歩んできた、と語る熊倉さんは柔軟に、そして周りの視点や視点の交換に力を得ながら、アーティストとしての礎を築いてきた。
ぬいぐるみをモチーフにした作品
Still Life with Bear, Flowers, Bushes, and Landscape | 65.2×53.0cm (F15)、キャンバスに油彩、2017
現在は、宇宙や天体をテーマとしたシリーズを制作している熊倉さんだが、初期の頃に取り組んでいたモチーフはぬいぐるみだった。
「見たものを描くのが得意で、目の前にないものを想定して描くのが苦手。その自分の特性をどう作品にしたらいいか学生の時に悩んで、身近にあったぬいぐるみを描いたら感覚的にしっくり来たんです。それから、ぬいぐるみをモチーフにして作品を作り続けていました」
ぬいぐるみは造形の面白さだけではなく、それを使って操ることで使う人の人格が反映されたり、物語の設定が投影されたりする不思議なものなのではないかーーそんなことを考えながら制作に取り組んでいたという。
ただ、ぬいぐるみ自体のメッセージ性が強く、手法や絵画的なことよりその存在の強さが前面に出ることが多かったため、モチーフを変えることにした。
それが2018年のこと。以後、ぬいぐるみは作品に顔を出さなくなった。がらっと作風が変わったように感じられるが、熊倉さんの中では、ぬいぐるみを描いていた当時から追い続けていたことがあったのだという。
「ぬいぐるみを描いているときも、絵画史のことを調べていたんです。例えば大学の卒業制作には、バロック美術の明かりやロココ様式の享楽的な感じを取り入れています。そうやって絵画史を追うと、壁画に行き着くんですよね。壁画ってお墓に描かれていることがあって、死者に対して『死後の世界でいいことがあるように』と祈りの意味で書かれているものが多くて。すると宗教につながっていく。だんだん絵画史だけじゃ収まらなくて」
絵画史を追っていくうちに、宗教や科学史、人類史も対象になっていった。
そうして調べれば調べるほど、美術の枠組を越え、自然科学への興味につながっていったのだという。
現在その中からどのようにテーマを選んでいるのだろう。
「本を読んでいるときに気になるテーマがあったり、あとは太陽や月など目立つ天体は世界中に様々な言説があるんですよね。調べていて、多様な面がありそうなものを選んでいます」
たくさんの言説の中から、モチーフとなる表象をピックアップして、ひとつの画面に構成する。それは絵を通して新しい歴史や説を提案しているようにも感じられる。そう伝えると、「でも提案したいわけではないんですよ」と熊倉さんは言った。
「たくさんモチーフを入れてみるんだけど、なるべく全部のモチーフを尊重して、等価に扱いたいと思ってます。例えば今科学的に正しいと言われているものを強く扱うこともしたくないですし。だから見る人にどのように見てほしい、というのも本当にないんですよね」
2022年5月、日本橋三越本店で開催された個展「Transient Images」展示風景
「執着がない」と語る熊倉さん。でもだからこそ、多様な視点を取り入れ、関心を広げ続けることができるのだろう。
変化の過程を描く熊倉さんは、ひとつの変化する対象として、自分が見ているものと他者が見ているもの、そのズレを楽しんでいるように感じた。
「自分と全く違う価値観や世界観を持っている人の感覚ってどんなだろうと歴史を勉強すると思うことがあって。例えば、17世紀のフランドルの静物画って目の前にあるみたいにすごくリアルなんですけど、それを美術館で今私が見るのと、写真などがない当時の人が見るのでは、迫って来る感じが違っただろうな、と思うことがあります。
他者の感覚はわかりようがないけれど、私なりに時間軸の上で他者を理解しようとしているのかな。自分の感覚も、一時代の一瞬の感覚に過ぎないというか、そんなことを考えています」
現在取り組んでいるシリーズ「Transient Images」の“trancient”とは、「一時的な、はかない」を意味する言葉。そこには、今真実であると思われているものでさえ、いつか変わってしまうものだと語る、熊倉さんの姿勢が現れている。
2018年にモチーフを変えてから現在に至るまで、たくさんのイメージを重ねる作品のレイヤー性はさらに強まっている。
「Transient Images」では、上層のイメージがかき消されて、一層目のドローイングや下地が露わになる構造で描かれているが、それは、油絵自体のレイヤー性から着想を得ているのだそう。
今後はどんなことに挑戦したいのだろう。
「今、立体的に描いた部分とスケッチでラフに描いた部分を組み合わせた作品なども制作しています。古典絵画で描き途中のまま残されている絵って結構あるんですよね。未完成感やほころび、そういう性質をモチーフと絡められたらいいなと思っています。これからも絵画の典型的な構造にヒントを得ながら、新しい描き方を見つけたいですね」
テーマだけではなく、技法にも過去の積層が重なり、作品はますます重層的なものになっていく。
そして最後に熊倉さんは、「誠実にやっていけたら」と口にした。
「こういうサンプリングする手法って、気をつけないと搾取的になってしまうと思うんです。イメージを、単純に面白いから、かっこいいから入れようみたいな感覚はよくないなと思っていて。ちゃんとバックグラウンドも含めて考慮しながら、作品に取り入れていきたいですね」
絵画、そして宇宙や天体、生命について残された言説、地球46億年の歴史を紐解けば、描く対象は尽きることはないだろう。
その尽きることがない、ということに途方もなさを感じながら、熊倉さんが見せてくれる絵画の世界がまだまだ続くと思うと、その途方のなさが宇宙にきらめく無数の星と同じく、希望の光のように感じた。
熊倉 涼子/ Ryoko Kumakura
1991年東京生まれ。2014年に多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻卒業。現在、東京を拠点に活動している。歴史の中で人々が世界を理解しようとする過程で生まれたイメージを元に、絵画を制作。あるひとつの事柄に対して多面的な視点で図像を集め、それを元に作品を構成している。そうしたモチーフを、写実的な描写や落書きのような線などの複数の描写法を混ぜたり、画中画やだまし絵の手法を用いて描くことで、視覚的に揺さぶりをかけ、目に見えるものとは何かを問う作品を制作している。主な展示に、2022年 個展「Transient Images」(日本橋三越本店美術サロン/東京)、2018年 個展「Pseudomer」(RED AND BLUE GALLERY/東京)、2021年 グループ展「Everything But…」(Tokyo
International Gallery/東京)、2018年 熊倉涼子・永井天陽二人展「DI-VISION/0」(TAV GALLERY/東京)など。2021年「第34回ホルベイン・スカラシップ」奨学生、2019年「群馬青年ビエンナーレ」に入選。
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