OUR ART IN
OUR TIME

OUR ART IN
OUR TIME

  • 大・タイガー立石展

  • 青森県立美術館

  • 2021.7.20 - 2021.9.05

絵画、陶彫、マンガ、絵本、イラストなどのジャンルを縦横無尽に横断しながら独創的な世界を展開した立石紘一、ことタイガー立石、こと立石大河亞(1941-98)。

 

1941年、九州・筑豊の伊田町(現・福岡県田川市)に生まれた立石は、大学進学のために上京。63年の「読売アンデパンダン」展でデビューし、翌年には中村宏(1932-)と「観光芸術研究所」を設立。

時代や社会を象徴する人物やイメージなどを多彩に引用して描かれたその作品は、和製ポップ・アートのさきがけとして注目を集めた。

 

《立石紘一のような》1964年 高松市美術館蔵

65年からは漫画も描きはじめ、「タイガー立石」のペンネームで雑誌や新聞にナンセンス漫画の連載をもつまでになる。60年代末から多くの子どもたちが口にした「 ニャロメ!」という言葉は赤塚不二夫(1935-2008)と交流があった立石の造語だった。

 

しかし、マンガ家として活動が多忙になった1969年3月に、立石は突如としてミラノへ移住。そこから延べ13年にわたるミラノ時代は、マンガからヒントを得たコマ割り絵画を精力的に制作する一方、デザイナーや建築家とのコラボレーションで数多くのイラストやデザイン、宣伝広告などを手がけていった。

《明治百年》1965年 青森県立美術館蔵

『ぼくの算数絵日記』より原画(『月刊たくさんのふしぎ』118号)1995年 個人蔵

イラストレーターとしての活動が多忙になってきた立石は再び環境を変えるため1982年に帰国。85年から千葉を拠点に活動する。90年以降は絵画や陶彫作品を「立石大河亞」、マンガや絵本を「タイガー立石」の名義で発表していった。

 

立石の作品はどの時期のものであっても、さまざまなできごとや観念が地層のようにつみ重なっている。このため、「見る」だけではなく「読む」ことによって、わたしたちの思考の回路も多次元にひろがるかのようだ。

《富士のDNA》1992年 courtesy of ANOMALY

《昭和素敵大敵》1990年 田川市美術館蔵

立石は1998年4月に56歳という若さでこの世を去ったが、生誕80年をむかえる今年、約200点の作品・資料によってその多彩な活動を振り返るのが本展である。

 

「タイガー」をペンネームとした立石の「足跡」(トラック)を辿りながら、「観光」(トラベル)、「仕掛け」(トラップ)、「変容」(トランス)といった立石芸術の魅力に迫る。

『顔の美術館』より原画(『月刊たくさんのふしぎ』106号)1994年 個人蔵

【information】

展覧会名:大・タイガー立石展

会場:青森県立美術館

会期:7月20日〜9月5日

開館時間:9:30 ‒ 17:00(入館は16:30まで)※8月14日(土)、15日(日)、20日(金)、21日(土)は20:00まで開館(入館は19:30)
休 館 日:7月26日(月)、8月23日(月)
観 覧 料:一般 1,500(1,300)円、高大生 1,000(800)円、小中学生無料

 

URL:(http://www.aomori-museum.jp/ja/exhibition/136/

 

 

google map

  • Share on

error: Content is protected !!